last updated 1997/09/20
第128話(全130話)
バアグ(4/5)
「心にテオが生きはじめる」
「それが、風が吹き抜けて行くことの意味だ」
「なら」
とマリカ。
「わたしは何のために、ここへ。この人を、ピートをただここへ導くためだけに動かされたの
ですか?」
「莫迦な。お前もまた風だ。お前がテオとテラを結ぶ風になるのだよ、マリカ。わたしはテラ
へ赴き、テラを結果的にただかき回しただけだった。だが、お前は違うだろう。お前の自分を
高めたいと願う心が、科学技術の進歩とは違う高みへ、テラを導くだろう」
「わたしが?」
「わしのように失敗はするな。洪水ですべてをチャラにしなければならなくなるような、そん
なヘマはしてくれるな」
「わたしも地球へ行くのですか?」
「いまではない。ピートが必要とする時が来る。その時、もう一度世界と世界が結ばれる。そ
の時はお前が今度は風となってピートの世界を吹き抜けて行くことになるだろう。ふたつの風
が行き来する。そんな風の通り道が出口を失ったふたつの星を浄化するはずだ。そのために、
それを知るために、お前たちはここへ呼ばれたのだよ」
「呼ばれた? あなたが呼んだのじゃないんですか?」
「わしは封印されてる。誰に呼び掛けることもできんよ。おまえたちは宇宙の流れに呼ばれた
のだろう。星空に吹く風に、誘われたのだよ」
「では」
ピートはバアグからマリカへと目を向ける。
「ここがぼくの旅の終点ですか?」
「ひとつの旅が終わる。お前の旅はお前の命とともにまだまだ続くはずだがね」
「帰り道があるのですね」
「ある。この光の扉の向こうにな」
「ということは・・」
ピートはマリカをみつめる。
「せっかく出逢えたのに、ぼくは帰らなければならないんですね」
「帰り道をみつけたのだから」とマリカ。「あなたは帰らなければ。幻のようにあなたはまた
あたしの前から消え去るんだわ」
「消え去りはしないよ。少なくともぼくの心からきみのことは消え去りはしない」
「それはわたしも同じこと」
ピートとマリカはみつめ合う。
「ならば」
バアグが言った。
「これは別れではない。ふたりの出逢いのはじまりだ」
バアグの言葉にピートはうなずく。マリカもうなずき返す。
気がつくと、ふたりの手はまだ繋がれたままだった。
テオとテラを結ぶ糸。世界と世界を結ぶリボン。それは糸でもリボンでもなく、宇宙の神秘
ですらないのだろう。それは惹かれ合う心と心、みつめ合う瞳と瞳の中に芽生える魂の絆。
マリカのほうからピートの手を放した。
「行ってらっしゃい。いつか、あなたのお母さんの物語をあたしにも読ませてね」
マリカは言う。微笑みを浮かべたままで。ちょっとだけ赤い髪を揺らしながら。
「きっと読ませるよ。素敵な物語がたくさんあるんだ。・・いろいろと、ありがとう」
ピートも言った。やはり微笑んだままで。
ふたつの世界を結ぶピートとマリカの間に架けられた橋は、時と空間を隔てて星空を渡って
行くのだろう。揺るぎない橋だ。虹のように美しい橋だ。ふたりはその橋を世界の両側から支
えるのだと自覚した。テラにやすらぎを。テオに自分を愛する強さを。ふたりは贈り合うのだ
ろう。
バアグが光の中に退いた。バアグがいた場所に扉がある。
ピートはそれを見て、そしてひとつ自分にうなずいた。
「あたしを呼んで」
「呼ぶさ。きっときみの名を呼ぶ」
「あたしもあなたの名前を呼び続けるわ。あなたはあたしのたったひとりの人だから。あたし
の心がそれを知っているから」
「また逢おうね。それまで元気で」
「あたしはいつも元気よ」
「そうだね」
笑って、バイバイと手を振って、ピートは扉のノブに手をかけた。
マリカはくるりと背中を向けた。出逢ったばかりなのに、もう泣き顔を見せるなんて、彼女
のプライドが許さなかった。気高く自分を律することの出来る、彼女はそんな姫君だった。
ピートもまた、もうマリカを振り返らない。振り返らなくても、マリカの微笑む姿は瞼にし
っかりと刻印されていた。永遠の別れじゃない。バアグもそう言っていた。これがはじまりな
のだ。ぼくがぼくの世界へ戻ることで、はじめてぼくとマリカの物語の第一章が開かれる。
ピートは扉を開けた。
しかし道はない。
そこから先は断崖だった。遥かな眼下で川のせせらぎが聞こえる。ピートはわずかにたじろ
いだ。しかしピートは足をふんばり、唇を引き結ぶ。目の前を何かがよぎった。目を凝らすと
、それはヒナツバメだ。嘴に何かくわえている。暗い闇に霞んでよく見えなかったが、ピート
には何をくわえているのかわかる。鳩がオリーブの葉をくわえて、ノアを新天地へと導いたよ
うに、ヒナツバメはその嘴に、あの茶色い花をくわえているのだろう。その花へと手を差し伸
ばすことで、世界と世界の間に道が開けたのだから。ならば、旅の終わりもまた花へと差し伸
ばす手でしめくられるはずだ。
ピートはヒナツバメに微笑みかけた。
「やあ。心配してたんだよ。きみが無事かどうか、とても心配したんだ」
言いながらピートは花へと手を差し伸ばした。
ゆらり。体が揺れた。そしてピートの落下がはじまった。
どこまでも永遠にまた落ちて行くのだろうとピートは思ったが、実際はすぐにバシャンと川
に落ちた。川はどことも知れない地底を流れて行く。見上げると、自分が通ってきた扉の向こ
うから眩しい光が漏れていた。その光は急速に遠ざかり、夜空に輝く星のようになって、そし
て見えなくなった。あの星の向こうにマリカがいる。ピートには、星のまたたきが、いままで
以上にやさしく感じられた。
地底を流れる川はどんどんと流れの勢いを強めて行く。ピートは川岸の壁に、さまざまな模
様が描かれているのを見た。それはナスカの地上絵のようでもあり、ピラコチャ神殿に刻まれ
たさまざまな形態の生き物のレリーフのようでもあった。時代と時代を結ぶ川。星と星を結ぶ
川。流れはどんどんとピートを押し流し、やがてピートは自分が水の泡へと変貌してゆくのを
見た。人魚姫のように、ピートは水の泡となって、川に飲み込まれ、川と一体化し、そして流
れに乗って、テオから流されて行った。
(つづく)
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